新説死後の世界
死後の世界の観光旅行
死後の世界への観光旅行は、全員そろって49日間の
冥途の旅から始まる。
このコースが終わると、次に3つのコースを選択できる。
すなわち<地獄めぐり> <天上界めぐり> <天地間めぐり>のいずれかである。
しかし、<極楽めぐり>の客となるには、人工衛星で宇宙へ飛びださなければならない。
地獄めぐり見どころ 八大熱地獄
地底深く広がる人間の罪と罰のバラエティ街。
気温は40度をこえ不快指数は
100を上回るが、昔からの人気コース。
天地間めぐり見どころ
餓鬼界
このコースはほかに畜生・阿修羅・人間界を見て回るが
36種類を誇る餓鬼界のユニークさは見る者をあきさせない。
極楽めぐりの見どころ
はるか西方にある、楽しみを極める国、それが極楽浄土。
住民の身体は金色に輝き、阿弥陀仏の声が直接聞ける最高の名勝地。
天上界めぐりの見どころ
空居天
空飛ぶじゅうたんのように空中に浮かぶ空居天(くうごてん)。
そこには弥勒菩薩(みろくぼさつ)との感動的な出会いが待っている。
死出の山
第一〜第六日
長さ800里(3,200km)にわたる峻険な山
脈の裾野に暗い一本道がつづいている。
第一の法廷
第七日目
最初の裁判官「秦公王」は
書類審査で死者を裁く。
三途の川
第8日〜第13日
鬼あり地蔵あり
クロークあり
渡った人は二度と
もどらないという
冥途最大の名所
第二の法廷
第14日目
第2の裁判官「初江王」の
前には死者は真裸でたつ
三途の川
第8日〜第13日
鬼あり地蔵あり
クロークあり
渡った人は二度と
もどらないという
冥途最大の名所
第二の法廷
第14日目
第2の裁判官「初江王」の
前には死者は真裸でたつ
第三・第四の法廷
第21日〜第28日
ネコやヘビ、秤などの
小道具が死者の罪状
調べに使われる
閻魔大王の法廷
第35日目
冥途コースの有名人
「閻魔大王」の法廷では
生前の悪行をビデオで
見せられる
第七の法廷 来世への六つの門
第四十九日目
最終日にたどりついた泰山王の法廷では
来世への途を自分で選択する。
生前の所業を記したパスポートを7回調べられる
休むところもない徒歩旅行ですので、七日目ごとに一区間として、区間ごとに一息つく
中継点が設けられています。
冥途コースにおいては、この中継点が入国管理事務所の役割
もかねています。
そこでは、みなさんの生前の所業を記したパスポートを拝見させて
いただくことになっています。
四十九日間で七日目ごとですから、都合七回の審査を
受けることになります。
まあ、娑婆における裁判所の法廷と思えばよいでしょう。
ちがう点は、審査が法律によってではなく、仏法の「因果応報」という基準でなされることです。
来世への出発点 行き先別に六つのグループに分けられます。
途中の審査はみなさん一人ひとりが、これらの行き先のうちどこへ行ったらよいかを
決めるためのものなのです。
なぜなら、みなさんは”ふつうのヒト”で審査をしないと
行き先が決められないからです。
じつは、冥途の旅には特別快速コースがあるのです。
このコースならば、四十九日間
もの徒歩旅行の必要はなく、あっという間に一直線に目的地へ運んでくれます。
しかし、
このコースをたどれる人はごく限られています。きわめつけの善人か、とてつもない
悪人かです。
前者は天上界へ超スピードで運ばれ、後者は地獄界へまっ逆さまに直行します。
行き先を決めるにあたって、七回もの審査が行われるのは、
誤審がないように慎重に審議を重ねるためです。
方法も書類審査から始まって、ネコやヘビ
秤などがみなさんの生前の行為のデータ分析のために使われます。
もし、審査の結果指定された
行先に不服があれば、さらに以後三回の再審を受けることができます。
地方・高等・最高裁判所
と三つしかない娑婆(しゃば)の制度にくらべれば、冥途のほうがはるかに公明正大です。
では、みなさん、そろそろ出発の時間が近づいてきたようです。
断末摩
マルマン(末摩)が切れた瞬間が旅のスタート
冥途コースへの出発は、まずテープカットから始まります。
といっても、この場合、
みなさんに切ってもらうのは、この世との絆です。
その際、多少の苦痛がともないますが、仏教では、それは”マルマン”が切れるからだ、
と考えられてきました。
マルマンといってもガスライターではありません。
仏教発祥の地、
古代インドでは、人間の身体のなかには六十四のマルマンがあり、そのひとつが、何かの
拍子に切断されると、激しい痛みが起こって、人間は死ぬ、と思われてきたのです。
マルマンの音写語が「末摩」です。
そこから、人間の死にぎわのことを「断末摩」という
ようになったのです。そして、マルマンが切断されるときの苦しみを「断末摩の苦しみ」
などといいます。
冥途の食べもの
冥途の旅にあたって、どんな食べものをどれくらい持っていったらよいだろうか。
四十九日もの旅なので、かなり大量の食糧を持っていかなければ困りはしないか、
と心配される方も多いようです。
結論からいえば、食べものの用意はいっさい必要ありません。
娑婆(しゃば)で
いくら金持ちだったからといって、豪華な食べものを持参してもすべてむだになって
しまいます。
なぜならば、中陰の世界では香しか食べられないからです。
冥途の旅では、香がただひとつの食べものです。
それゆえに、冥途への旅人のこと
を”食香(じきこう)”と呼ぶのです。
死者のために仏壇にお線香を絶やしてはならない、とよくいわれます。
これは
お線香が死者のだいじな食べものだからなのです。
べつの世界 冥途の旅は、来世への行き先を決める旅
その世界は、現世と来世の中間にあって、現世の陽に対して陰の世界なので、仏教では”中陰
(または中有)の世界”といいます。
では、中陰の世界に足を踏み入れてみましょう。
中陰の期間の死者の体はごく微細なものです。
この期間の姿は、”姿なき姿”といわれて
います。意識だけしかないところから”意生身(いじょうしん)”とも呼ばれています。
その姿は娑婆(しゃば)の人間の目には見えません。
香を食べるといってもごくわずかな
ものですから、心のこもった一本のお線香で十分なのです。
冥途の旅は、山路から始まります
山路は大きな山の裾野の道です。
山の名は「死出の山」といいます。
死者が冥途へ
旅立つにあたって、その出発点となる山だから、こう名づけられたのです。
死出の山は、長さが800里(約3200キロ)、高さは不明。峻険な山脈です。
みなさんが
この山のふもとを歩くときは、まわりはまっ暗です。
暗い闇のなかに大きな山が黒く
そびえたっているわけです。
道しるべは星の光です。星の光だけを頼りに歩きつづける
全行程七日間のコースです。
だいたい冥途の旅は、暗いなかで進められます。
そもそも”冥”という字は、暗いという意味です。
冥途とは冥界のことですから、周囲は
暗いのです。
冥土とも書きますが、冥界は死者がそこに住む土地ではなく、ただそこを通過
する土地だから、わたしは冥途という書き方のほうがぴったりしていると思うのです。
死出の山は現世の別れの山です。
いくら恋しい人でも、この山を越えてしまえばもう会うことができなくなります。
「しでの山 越えにし人をしたふとて 跡を見つつも なほまどふかな」。
これは
源氏物語「幻の巻」にでてくる歌です。
死出の山を越えることは生死の山を越える
ことです。いくら後を追おうとしても、現世との絆を切らないかぎり、この山には
のぼることはできません。
古代ローマでは一時、この山の集団登山が流行したこと
があります。
クレオパトラがアントニウスの後追い心中をしたころ、それをまねて
「いっしょに死のう会」というのがさかんに結成されました。
この会では、遊女や
遊び仲間と飲めや歌えの酒宴を開いて、そのさなかに二人そろって生を断つことを
会員のモットーとしていました。
しかし、死出の山めぐりは、ほんとうは一人旅が原則なのです。
だからこそ、後に残された者が、先に行った恋しい人が無事に越えられたかどうか心配する
のです。
でも心配はいりません。
死出の山から”山の便り”をだすこともできるのです。
死出の山には、メッセンジャー・ボーイならぬメッセンジャー・バードがいるのです。
それはカッコウ(郭公)鳥です。この鳥が山を無事に越えたかどうかを知らせてくれます。
続(しょく)古今和歌集にもこうあります。
「郭公(かっこう)のなく声きかばまずとはむ
死出の山路を人や越えしと」。
死出の山にも青い鳥はいるのです。
第1法廷 最初の裁判官に書類審査される。
最初の七日目、つまり初七日で旅は一区切りがつきます。
ここでみなさんのパスポートを
拝見させていただくことになっています。
コースガイドでご案内した七回の審査の第一回目
です。
冥途の旅のパスポートには、みなさんの生前の所業が記されています。
しかし、行先欄は
空白になっています。
七回の審査は、旅券にその行先を書き込むために行われるのです。
渡った人は戻らない不思議な川
いよいよ冥途の旅最大の名所、三途の川にさしかかります。
三途の川は、とうとうと冥途を横切って流れる大河です。
死出の山とともに数少ない
観光の名所です。
いや、冥途コースでは、この二つの場所しかあまり知られていないの
です。
冥途は本来、あまり楽しいところではないので、観光の名所が数多くあると、
かえっておかしいとの意見もあるのです。
とにかく冥途を旅する者は、だれでも
この川を渡らなければなりません。
ある人とっては、三途の川渡りは冥途の旅での最大の
難所になるでしょう。
渡る場所は三ヶ所あります。
古くからのガイドブックにもこう記され
ています。
「渡る所に三有り。
一には山水瀬(さんすいせ)、
二には江深淵(こうしんえん)
、
三には有橋渡(ゆうきょうと)あり」
なんだ、橋がかかっているのか、それじゃ楽だ、などと
独り合点してもらっては困ります。
橋を渡れるのは、ごく限られた人のみです。
きびしい
資格審査があるのです。
橋を渡る通行券がもらえるのは、善人だけです。
といっても、
とびきり上等の善人は、まえに述べたように、特別快速コースで極楽行きですから、まあ、
比較的善人ならだいじょうぶです。
それ以外の人たちは、水にはいって川を渡ってもらいます。
これにも2コースあります。
浅瀬渡りと濁流渡りです。どちらを渡るかは、前世で働いた悪行の
質と量によって決定されます。
ここにも、因果応報という仏教の基本原理が貫かれているのです。
もうおわかりでしょうが、三途の川という名前の由来は、このように三つの渡る”途(みち)”
があるところからきています。
三途の川は、ひとたびそこを渡った者は二度と帰れない、不思議な
川です。
帰れないといえば、冥途の旅そのものがUターンが許されない一方通行路なのです。
さすが三途に川を渡ると、だれもが感傷的になります。
いままでなじんだ世界とはまったくちがう冥途にきたことを実感するからです。
娑婆(しゃば)の観光名所ならば、そんな場所によく「見返りの松」などという呼称の木が
植わっているものです。
三途の川の対岸には、松ならぬ”衣領樹(えりょうじゅ)”という
木が生えています。
その木の下で、二人の爺婆(じじばば)が、
みなさんが川を渡ってくるのを待ち受けています。
二人の名は、懸衣翁(けんねおう)と
懸衣嫗(けんねう)といいます。
懸衣嫗は、また俗に奪衣婆(だつえば)とも呼ばれています。
読んで字のごとく、冥途の旅人から衣服をはぎ取ることが彼女の役割なのです。
みなさんには、
ここで旅の衣を脱いでもらいます。
懸衣嫗が脱がせた衣類は懸衣翁に渡されます。
彼はそれを衣領樹(えりょうじゅ)の枝に
かけます。この木は衣の持ち主が生前犯した罪の軽重によって、枝がしなうという特殊な
植物なのです。
そのデータは、三途の川を渡っての最初の裁判官、初江王(しょこうおう)の
ところに送られます。
ところで、三途の川渡りも時代とともに変化をしてきているのです。
室町時代以降の伝承によると、三途の川に渡し舟が出現します。
どうやら死後の世界も、
それなりの近代化がされているようです。
この三途の川の渡し賃が六文だったのです。
この相場はむかしからずっと変わらないようです。
死者をだびに付すとき、その棺のなかに一文銭を六枚入れてやる風習もここから始まりました。
しかし、今日では一文銭が骨董的になってしまったので、紙に印刷した六文銭が使われたりしています。
たとえ六文であっても、三途の川を渡るにも料金がかかる。
地獄の沙汰も金しだい、という言葉も、
こんなところから生まれてきたのです。
なぜ、渡し賃が六文なのでしょうか。
この運賃基準は、仏教の六道輪廻という考え方からきているようです。
これについては、
あとで説明しますが、死後に六つの世界があるという思想です。
ひとつの世界ごとに一文
ずつというわけです。
しかし、みなさんの行先はどこかひとつです。
それに、六つの世界
は環状線のように、ぐるりとつながって回っているのです。
だから一枚の切符で充分です。
六文もいりませんので、ご安心を。
世界の三途の川めぐり
現世と来世との境に川が流れているという伝承は世界のあちこちにある。
ギリシャ神話では
スティクス川と呼ばれる。
この川岸にはカロンという老人の渡し守がいて、死者の魂を舟に乗
せて対岸に渡す。
渡し賃は一オロボス。
北欧神話ではヨルの川で、きらきら輝く金をしきつめた橋がかかっている。
そこには
モットグッドという美しい乙女が橋番をしている。
インド神話ではビタラニー川がそうだが、この川は汚物に満ちているという。国によって、
ずいぶんとイメージがちがう。
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